相手を変えたいと思ったときに、思い出したい童謡の話

─「仲なおりした姑と嫁」からの気づき

今日は、
私がヨガ哲学を学ぶ中で出会い、
ふと日常の人間関係と重なった
ある童謡のお話を書いてみようと思います。

「ヨガ哲学」と聞くと、
どこか特別な世界の話に感じるかもしれませんが、
実はすごく身近で、
家族関係や人付き合いの中でこそ
思い出したくなる教えだな、と感じています。

目次

童謡「仲なおりした姑と嫁」のあらすじ

あるところに、
姑(しゅうとめ)のことが大嫌いな嫁がいました。

嫁はついに
「いなくなってしまえばいいのに」
という思いが膨らみ、
毒薬を求めて医者のもとを訪れます。

事情を聞いた医者は、
少し考えたあと、こう言いました。

「これは毒薬です。
でも、一度に飲ませると怪しまれます。
1ヶ月間、毎日少しずつ飲ませなさい。
その間、姑を神様や仏様のように
大切に接するのですよ。」

そう言って渡した薬は、
実は毒ではなく、
害のない滋養強壮の薬でした。

人は、相手の心を映す鏡なのかもしれない

嫁は言われた通り、
毎日その薬を飲ませ、
心を込めて優しく接するようになります。

すると、不思議なことに
それまで厳しく当たっていた姑が、
少しずつ、少しずつ
穏やかに変わっていきました。

この話を聞いたとき、
私はこう思いました。

人って、もしかしたら
相手の心を照らし出す鏡のような存在
なのかもしれないな、と。

相手の嫌なところばかりを見ていると、
その人の嫌な面ばかりが目につく。

でも、
「この人の中にも、きっといい部分がある」
と目を向けていくと、
その人の中にある優しさや温かさが
少しずつと見えてくる。


「仏性」という考え方と、できていない私

仏教には
「仏性(ぶっしょう)」 という考え方があります。

誰の中にも、
仏さまのような優しさや慈愛の心が
もともと備わっている、という考えです。

そう聞くと、
「なるほどなぁ」と思う反面、

……正直に言うと、
私はまだまだできていません。

特に母に対しては、
つい素を出しすぎて、
きつい言い方をしてしまうこともあります。

頭では
「誰の中にも優しさがある」
と分かっているのに、
感情が先に出てしまって
あとから反省することも、よくあります。

それでも、学び続けたいと思う理由

でも、この童謡の話を思い出すと、
「できていない自分」も含めて
ヨガの学びなんだな、と感じるんです。

嫁がしたことは、
相手を変えようとしたことではなくて、
自分の態度を変えただけ

結果として、
関係性が変わっていった。

これはきっと、
人間関係だけじゃなくて、
自分自身との関係も同じなんだ
と思います。

自分に向けて、どんな言葉を使っている?

私たちは、
他人にはなかなか言わないような言葉を、
自分には平気で投げかけてしまいがちです。

もし、
自分の中にも「仏性」があるとしたら。

その自分に、
今日どんな言葉をかけてあげたいでしょうか。

相手を変えなくていい、という救い

この童謡が教えてくれるのは、

「相手を変えなきゃ」
「分かってもらわなきゃ」

と力まなくてもいい、ということ。

自分の在り方が変わると、
関係性は、
思っているより自然に動き始める。

そしてそれは、
完璧にできてからじゃなくて、
揺れながら、失敗しながらでもいい

私自身、
そんなヨガジャーニーの途中にいます。

まとめ|ヨガ哲学メモとして

・誰の中にも、やさしさの種はある
・人は、相手の心を映す鏡かもしれない
・変えるのは、相手よりも自分の在り方
・できていない自分も、学びの途中

今日もまた、
少し立ち止まって、
自分への言葉を選んでみようと思います。

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